増田望三郎です。こんにちは。
昨日は1年に1度の議会報告会が開催されました。
実会場とオンラインでの参加者がそれぞれ15名ぐらいいたでしょうか。
実会場でないと参加できない方、逆にオンラインだと参加しやすい方など、
議会としては2つの参加方法を初めて用意したわけですが、この運営は何とか無事にやれました。
さて肝心の内容。
うちの妻も参加してたのですが、
「今までで一番良かったのでは。」
また同僚議員の小林純子さんは、
「市民の声の洗礼を受けた。」とも。
つまり、市民のみなさんの意見・発言のレベルがとても高かった。
空家活用をどうするか、とか、渋滞する信号機に右折レーンを作ってほしいなど、
1つ1つの施策・政策への注文もありました。
しかしそれだけでなく、
「議会としてはどのような議論をしたのか?」とか、
「なぜ議会はこのような議決をしたのか?」など、市民の方が議会だよりや議事録を読み込み、
その問いを我々議会に求めてくるのです。
妻曰く、「あの人たちが議員になればいいのでは?と思うような鋭い人たちが何人も居た。」と。
このような質の高い追及をされると、議会の曖昧さや質が如実にあぶり出されます。私は常日頃から、
「議会は行政へのチェック機能(=議決)だけでなく、議会としての政策提言機能を強化すべきだ。」
という発言をしていますが、そんな鼻っ柱をへし折られるような、
自分自身の議員としてのチェック力の拙さを感じました。
行政を監視する機能をもっと高めなくてはと。
そしてそれは議会全体としても。日頃は行政に対して追及をする我ら議員。
そんな我々議員や議会のあり様をチェックする機会は4年に1度の選挙しかありません。
その選挙も本当にその一人一人の仕事に対しての評価ではない面もある。
(人気があったり、地元から推薦されれば当選してしまう面もあるので)
我々議会も少なくとも年に1回以上はこのような報告会の場で、
市民から議員や議会としてのあり方を確認追及されるべきです。
そして議員としての褌(ふんどし)を締め直すべきだと思いました。このような言葉があります。
「その国の政治レベルが低いのは、そんな政治家を選ぶ国民のレベルが低いからだ。」
この言葉を借りるなら、このようなレベルの高い市民のみなさんに市議会をしっかり注視してもらうなら、
我われ議員・議会のレベルも上がっていくのでしょう。もちろん自身の質の向上を市民任せではいけませんが。
そんなことを感じた議会報告会でした。
以下蛇足カモ。
少し気になったのは、同じ場を共にした議員の中に、
「ここ2年は市長との懇談する機会が市民も無かったので、
市行政へ言ってもらう内容が全部こっち(議会)に来ちまった。」
というような意見を言う人が何人か居たことです。
議会のあり様をどこまでも考えさせてくれた機会であったのに、
市民に攻められたと感じていたとしたら、それはとんでもない受けとめ方です。
願わくば、私のような受けとめをした議員が1人でも多ければと願うばかりです。
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