コメント
野外保育について
この前は、農作業中の合間にも関わらず、私の質問に答えて頂き、ありがとうございました。また、増田さんと一緒に作業されていた方も私に気遣い頂き、有難く思います。
今朝の信毎に野外保育について増田さんが心配されている内容の記事が掲載されていましたが、昨日、中信地域(安曇野市外)で野外保育に携わっている先生とお話する機会がありました。
「野外保育を受けた子どもが小学校に入って不登校になることがある」ことについて、その先生は、野外保育と就学後の不登校の相関関係は感じないものの、そのような指摘を受けることがあるとおっしゃっていました。
私も以前、小学校低学年の担任や支援担当をいくつかの学校で経験しましたが、「どんな保育経験か」ということと、小学校での不登校(私が関わった子どもで不登校の事例はほぼ皆無なのですが)ということの相関関係はあまり感じません。
なぜ、「野外保育は・・・」と言われるのか疑問な部分です。
今朝の信毎に野外保育について増田さんが心配されている内容の記事が掲載されていましたが、昨日、中信地域(安曇野市外)で野外保育に携わっている先生とお話する機会がありました。
「野外保育を受けた子どもが小学校に入って不登校になることがある」ことについて、その先生は、野外保育と就学後の不登校の相関関係は感じないものの、そのような指摘を受けることがあるとおっしゃっていました。
私も以前、小学校低学年の担任や支援担当をいくつかの学校で経験しましたが、「どんな保育経験か」ということと、小学校での不登校(私が関わった子どもで不登校の事例はほぼ皆無なのですが)ということの相関関係はあまり感じません。
なぜ、「野外保育は・・・」と言われるのか疑問な部分です。
これまでのコメントをふりかえって
上の11月2日のコメント(今は掲載されていませんが、今後掲載されるであろうと思いますが)にまとめて書けば良かったのですが、1日に野外保育の先生とお話しする機会があり、翌日に野外保育のことが新聞記事にもなったことから、その件についてのみ書かせてもらいました。(野外保育については、もう書かないつもりだったのですが、野外保育の先生とやり取りする中で、意外だと感じる話もあったので書かせてもらいました)
①10月17日の安曇野市民さんのコメントについて11行目から13行目(だったと思いますが)に書かれていた「教育(機関など)には何も期待していない」という部分についての感想(偉そうな書き方ですみません)ですが、私は、今の政治や経済の方向性があまり期待できないから、教育にも期待できない、というのであれば、私もそのように「強く」思います。
数日前、ある国会議員の方のブログにもコメントさせて頂きましたが、私は、09年から12年までの民主党政権を評価していますが、それは、この国が「理不尽なことに耐えることが大切だとする考え方」に支配されているのでは、という問題提起をしてくれたからです。
しかし、旧民主党の人たちはこの問題提起に対する解決策(政策)を今の今まで「いいものを提案してくれた」と感じる場面が(少なくても私には)一度もありませんでした。
自公政権や阿部長野県政も、教育で言えば入試改革や保育や教育の多様化の推進など「おっ、いいぞ」と(私が)思う政策立案もしてくれてはいますが、安倍首相が「数年前の川崎の少年事件のような事案を再発させないためなら、何でもやる」と言っても、(私から見ればですが)今日の今日まで事件の再発防止のために「何でもやった」ようにはとても思えないこと、2年前、相模原であれだけの事件が起こり、現在、旧優生保護法に関する問題がこれだけ起こっているのにも関わらず、与党も野党も、わが国がこれから「優生思想」とどのように対決していくのかが、全くといっていいほど見えないことなどを考えると、わが国の「政治」に期待しろ、と言う方が無理ではないか、と感じます。
と、書きましたが、同時に、私は元教員という立場から、少なくても教育の場だけでも、みんなが希望を持てる場でなくては、と思います。
②増田さんの10月10日のコメントについて
増田さんの教育政策に対するご提案の中に「英語に慣れていない先生」といったような記述がありましたが、現在の小学校では外国語活動に対する研究もある程度推進されており、また、平成13年度まで(だっとと思いますが)わが国では「英語」は選択教科でしたが、実質は平成14年度以前でも各都道府県立高校の入試教科に「英語」があり、また中学生や高校生の「英語」の履修率もほぼ100パーセントの状態だったように思います。先生になる方がそれだけの学習(教員研修を含めて)をしていれば、小学校での外国語活動や英語学習の指導、支援は何とかなるようにも思います。(国語の品詞分解を中学校で学習するのに、まさか、英語の不定詞の名詞的用法などを小学校で学習することはないであろう、したがって、ハイレベルな英語力が教師に求められることはないと思いますので)
実は私の市でも、小学校の外国語活動や英語教育に関する教員の負担については、議会でも取り上げられたので、おそらく安曇野市でも議題になるかもしれない内容なので、そういった時などに、このブログやレインボウ通信などで、増田さんが考える「英語に慣れる」とはどのような(英語の)習熟度を指すのか、私見を述べて頂けるとうれしく思います。(おそらく増田さんとお会いする機会があっても、上の①のような、教育や政治の方向性といったようなものを中心にお話ししたいので、このような教育政策の具体的な部分についてはお話しする時間がないのでは、と思いますので)
最後に、増田さんのブログでこのようなことを書いて申し訳ありませんが、安曇野市民さんは教育に関してなかなか鋭い問題意識を持っておられると思います。安曇野市民さん(もっと言えば、このコメントをご覧になって、何かを感じた方も)におかれましては、「何も期待しない」などとおっしゃらずに(お気持ちはわかりますが)、教育に対する意見を、こうした場や、もしあれば、ご自身のブログなどで、無理のない範囲で述べて頂くのも良いのではと思います。
(増田さん、勝手にこのようなことを書いてすみません)
①10月17日の安曇野市民さんのコメントについて11行目から13行目(だったと思いますが)に書かれていた「教育(機関など)には何も期待していない」という部分についての感想(偉そうな書き方ですみません)ですが、私は、今の政治や経済の方向性があまり期待できないから、教育にも期待できない、というのであれば、私もそのように「強く」思います。
数日前、ある国会議員の方のブログにもコメントさせて頂きましたが、私は、09年から12年までの民主党政権を評価していますが、それは、この国が「理不尽なことに耐えることが大切だとする考え方」に支配されているのでは、という問題提起をしてくれたからです。
しかし、旧民主党の人たちはこの問題提起に対する解決策(政策)を今の今まで「いいものを提案してくれた」と感じる場面が(少なくても私には)一度もありませんでした。
自公政権や阿部長野県政も、教育で言えば入試改革や保育や教育の多様化の推進など「おっ、いいぞ」と(私が)思う政策立案もしてくれてはいますが、安倍首相が「数年前の川崎の少年事件のような事案を再発させないためなら、何でもやる」と言っても、(私から見ればですが)今日の今日まで事件の再発防止のために「何でもやった」ようにはとても思えないこと、2年前、相模原であれだけの事件が起こり、現在、旧優生保護法に関する問題がこれだけ起こっているのにも関わらず、与党も野党も、わが国がこれから「優生思想」とどのように対決していくのかが、全くといっていいほど見えないことなどを考えると、わが国の「政治」に期待しろ、と言う方が無理ではないか、と感じます。
と、書きましたが、同時に、私は元教員という立場から、少なくても教育の場だけでも、みんなが希望を持てる場でなくては、と思います。
②増田さんの10月10日のコメントについて
増田さんの教育政策に対するご提案の中に「英語に慣れていない先生」といったような記述がありましたが、現在の小学校では外国語活動に対する研究もある程度推進されており、また、平成13年度まで(だっとと思いますが)わが国では「英語」は選択教科でしたが、実質は平成14年度以前でも各都道府県立高校の入試教科に「英語」があり、また中学生や高校生の「英語」の履修率もほぼ100パーセントの状態だったように思います。先生になる方がそれだけの学習(教員研修を含めて)をしていれば、小学校での外国語活動や英語学習の指導、支援は何とかなるようにも思います。(国語の品詞分解を中学校で学習するのに、まさか、英語の不定詞の名詞的用法などを小学校で学習することはないであろう、したがって、ハイレベルな英語力が教師に求められることはないと思いますので)
実は私の市でも、小学校の外国語活動や英語教育に関する教員の負担については、議会でも取り上げられたので、おそらく安曇野市でも議題になるかもしれない内容なので、そういった時などに、このブログやレインボウ通信などで、増田さんが考える「英語に慣れる」とはどのような(英語の)習熟度を指すのか、私見を述べて頂けるとうれしく思います。(おそらく増田さんとお会いする機会があっても、上の①のような、教育や政治の方向性といったようなものを中心にお話ししたいので、このような教育政策の具体的な部分についてはお話しする時間がないのでは、と思いますので)
最後に、増田さんのブログでこのようなことを書いて申し訳ありませんが、安曇野市民さんは教育に関してなかなか鋭い問題意識を持っておられると思います。安曇野市民さん(もっと言えば、このコメントをご覧になって、何かを感じた方も)におかれましては、「何も期待しない」などとおっしゃらずに(お気持ちはわかりますが)、教育に対する意見を、こうした場や、もしあれば、ご自身のブログなどで、無理のない範囲で述べて頂くのも良いのではと思います。
(増田さん、勝手にこのようなことを書いてすみません)
増田さんのご提案について(追加)
昨日のコメントの追加になりますが、10月10日の増田さんのコメントで述べられていた、増田さんの教育政策に対するご提案に関して、もう一つ気になった点について書かせて頂きます。
増田さんが考える理想の教師像の一つに「愉快な心」を挙げられていますが、「明るい態度で子どもたちと接しようとする姿勢」といったようなものであれば、私も同意見ですが、ハラスメントにつながるような冗談(学校でいえば「いじり」に当てはまると思うのですが)と言うのであれば、許されるものではない、と思います。
増田さんが、そのようなもの(ハラスメントやいじりのようなもの)を考えて書いたとは全く思いませんが、今のわが国で、いじめやハラスメントがこれだけ問題になっている(増田さんも10日のコメントで書かれていましたが)中、こうした点をあいまいにするのはどうかと思い、書かせてもらいました。
言葉尻を捉えるようですみませんが、英語教育の点とともに気になった点なので書かせてもらいました。
それ以外の増田さんの教育政策に対するご提案については、同意できるご提案、私とは考えが違うな、と思うご提案がありますが、考えが違うご提案についても「考えが違っていたほうが(いい意味で)多様性があって面白い」と思うものなので、以上二点についてコメントさせてもらいました。
もう一点、10月17日の安曇野市民さんのコメントについて(再び取り上げてすみませんが、大事な点だと思いますので)、コメントのはじめの方で、いくつかの場面を挙げ「陰口や悪口を言い合う」といったようなことを書かれていましたが、私の経験からすると、一年の中で、本当に我慢できない時に、たまにならともかく、年がら年中、他人の陰口や悪口を言う人は、その職場でまわりから嫌がられることと思います。
安曇野市民さんは、「それ(陰口や悪口を言うこと)が社会です」といったような記述をされていましたが、人様の悪口を日常茶飯事に言う人は、そのうちAI(人工知能)に仕事を奪われると思います。日本全体がそう(年がら年中、人様の悪口を言っていないと気が済まない人たちの集まり)であれば(私はそこまでこの国はひどくないと思いますが)、この国はAI(人工知能)に支配される国になるかもしれません。
そういった点を考えると、今が、これから「面白い」時代になるか、「怖い」時代になるかの分岐点に立っている時なのでは、と思う時があります。
追加のコメントにも関わらず、長文、失礼しました。
増田さんが考える理想の教師像の一つに「愉快な心」を挙げられていますが、「明るい態度で子どもたちと接しようとする姿勢」といったようなものであれば、私も同意見ですが、ハラスメントにつながるような冗談(学校でいえば「いじり」に当てはまると思うのですが)と言うのであれば、許されるものではない、と思います。
増田さんが、そのようなもの(ハラスメントやいじりのようなもの)を考えて書いたとは全く思いませんが、今のわが国で、いじめやハラスメントがこれだけ問題になっている(増田さんも10日のコメントで書かれていましたが)中、こうした点をあいまいにするのはどうかと思い、書かせてもらいました。
言葉尻を捉えるようですみませんが、英語教育の点とともに気になった点なので書かせてもらいました。
それ以外の増田さんの教育政策に対するご提案については、同意できるご提案、私とは考えが違うな、と思うご提案がありますが、考えが違うご提案についても「考えが違っていたほうが(いい意味で)多様性があって面白い」と思うものなので、以上二点についてコメントさせてもらいました。
もう一点、10月17日の安曇野市民さんのコメントについて(再び取り上げてすみませんが、大事な点だと思いますので)、コメントのはじめの方で、いくつかの場面を挙げ「陰口や悪口を言い合う」といったようなことを書かれていましたが、私の経験からすると、一年の中で、本当に我慢できない時に、たまにならともかく、年がら年中、他人の陰口や悪口を言う人は、その職場でまわりから嫌がられることと思います。
安曇野市民さんは、「それ(陰口や悪口を言うこと)が社会です」といったような記述をされていましたが、人様の悪口を日常茶飯事に言う人は、そのうちAI(人工知能)に仕事を奪われると思います。日本全体がそう(年がら年中、人様の悪口を言っていないと気が済まない人たちの集まり)であれば(私はそこまでこの国はひどくないと思いますが)、この国はAI(人工知能)に支配される国になるかもしれません。
そういった点を考えると、今が、これから「面白い」時代になるか、「怖い」時代になるかの分岐点に立っている時なのでは、と思う時があります。
追加のコメントにも関わらず、長文、失礼しました。
No title
要するに、そうまでして体育館をその規模であの場所に作る核心は何ですか?
市民を無視して、誰がどのような得をする仕組みが仕組まれているのですか?
日本全国でよくある話かもしれませんが、そこが大事ですよね。いくらその不自然な過程を追及しても手遅れですし。
野外保育の話は、話が異常に広がりすぎて意味不明です。何故優生思想やAIの話になるのか、私の頭では(おそらく多くの人にとっても)よく分かりません。自慢話でしょうか。相手に理解を得るための文章では無いですよね。これで理解を得るなんて無理です。
あえて思うことは、先生と名のつく職業と、その他の人々との価値観や感覚の乖離です。先生と呼ばれている内に勘違いしていくのでしょうか。回りが先生とそれを支持する人ばかりで、その世界に浸り常識を失っていくのでしょうか。
市民を無視して、誰がどのような得をする仕組みが仕組まれているのですか?
日本全国でよくある話かもしれませんが、そこが大事ですよね。いくらその不自然な過程を追及しても手遅れですし。
野外保育の話は、話が異常に広がりすぎて意味不明です。何故優生思想やAIの話になるのか、私の頭では(おそらく多くの人にとっても)よく分かりません。自慢話でしょうか。相手に理解を得るための文章では無いですよね。これで理解を得るなんて無理です。
あえて思うことは、先生と名のつく職業と、その他の人々との価値観や感覚の乖離です。先生と呼ばれている内に勘違いしていくのでしょうか。回りが先生とそれを支持する人ばかりで、その世界に浸り常識を失っていくのでしょうか。