コメント
8月12日のコメント欄について
8月12日のコメント欄における、増田さんと安曇野市民さんのやりとりを読ませて頂き、感じたことがあるので書かせて頂きます。
安曇野市民さんは、野外保育園に通った子どもが小学校に入学してうまくなじめない場合があると記述され「子どもたちが大人以上に過酷な状況の下に置かれている」とも記述されていました。
このことについて、私の考察を書かせて頂きますが、このコメントは増田さんや安曇野市民さんを批判するものではなく、増田さんや安曇野市民さんに新たな見解を求めるものでもないことをご承知おきください。
安曇野市民さんが考察された「子どもたちが過酷な状況に置かれている」については、私もそのように感じる部分があります。しかし、だから野外保育がどうこうというのは、失礼ながら、私は少し違うのではないかと思います。
そもそも論ですが、わが国は日本国憲法下において、社会生活が営まれなくてはならないのですが、大人のみならず子どもたちまでもが憲法の掲げる理念からかけ離れたような「過酷な」状況下に置かれていることはまともな法治国家であればありえないことだと思います。
もちろん、学校生活においては一定の厳しさも必要であることは承知していますし、子どもたちがそいったハードルを乗り越えていくことも、教育基本法で書かれている「民主主義的な人格形成」に必要であると思います。
しかし、大半の野外保育園が、わが国において一時問題視された「自由放任保育」をしているとは思えません。自然には穏やかな部分がある反面、厳しい部分もありますので、いい加減な保育をしていたら子どもたちが大けがをする、などということも考えられるからです。
野外保育園から公立小学校に入学した子どもたちが不適応になってしまう、というのは、野外保育園での保育内容にもそれなりの課題があるかもしれませんが、そもそも「大人社会以上に過酷な状況」という公立小学校の状況こそが(事実であれば)問題であると感じます。憲法や児童憲章が順守されているのであれば「ありえない」状況だからです。
私の考察について「お前みたいに甘いこと言っていたらこの国の経済はどうなるんだ」と反論もあるでしょう。しかし、子どもの立場に立った教育を実施している国の中には国民一人当たりのGDPが日本より高い国がありますし、アメリカのアーミッシュの人たちのように資本主義よりもアーミッシュのコミュニティーでの生活を選択する若者もいます。(アーミッシュのコミュニティーにも問題はあるようですが)
子どもたちを(大人もですが)取り巻く過酷な状況こそ変えなくてはいけないと思います。
安曇野市民さんは、野外保育園に通った子どもが小学校に入学してうまくなじめない場合があると記述され「子どもたちが大人以上に過酷な状況の下に置かれている」とも記述されていました。
このことについて、私の考察を書かせて頂きますが、このコメントは増田さんや安曇野市民さんを批判するものではなく、増田さんや安曇野市民さんに新たな見解を求めるものでもないことをご承知おきください。
安曇野市民さんが考察された「子どもたちが過酷な状況に置かれている」については、私もそのように感じる部分があります。しかし、だから野外保育がどうこうというのは、失礼ながら、私は少し違うのではないかと思います。
そもそも論ですが、わが国は日本国憲法下において、社会生活が営まれなくてはならないのですが、大人のみならず子どもたちまでもが憲法の掲げる理念からかけ離れたような「過酷な」状況下に置かれていることはまともな法治国家であればありえないことだと思います。
もちろん、学校生活においては一定の厳しさも必要であることは承知していますし、子どもたちがそいったハードルを乗り越えていくことも、教育基本法で書かれている「民主主義的な人格形成」に必要であると思います。
しかし、大半の野外保育園が、わが国において一時問題視された「自由放任保育」をしているとは思えません。自然には穏やかな部分がある反面、厳しい部分もありますので、いい加減な保育をしていたら子どもたちが大けがをする、などということも考えられるからです。
野外保育園から公立小学校に入学した子どもたちが不適応になってしまう、というのは、野外保育園での保育内容にもそれなりの課題があるかもしれませんが、そもそも「大人社会以上に過酷な状況」という公立小学校の状況こそが(事実であれば)問題であると感じます。憲法や児童憲章が順守されているのであれば「ありえない」状況だからです。
私の考察について「お前みたいに甘いこと言っていたらこの国の経済はどうなるんだ」と反論もあるでしょう。しかし、子どもの立場に立った教育を実施している国の中には国民一人当たりのGDPが日本より高い国がありますし、アメリカのアーミッシュの人たちのように資本主義よりもアーミッシュのコミュニティーでの生活を選択する若者もいます。(アーミッシュのコミュニティーにも問題はあるようですが)
子どもたちを(大人もですが)取り巻く過酷な状況こそ変えなくてはいけないと思います。