一般質問~「食育を越えた教育を 『弁当の日』の実現について
- 2014/12/10
- 00:15
安曇野市議会開会中。
本日一般質問をやりました。
2つのテーマのうちの1つが『弁当の日』。
議会という公の場で取り上げ、行政側にも前向きに検討する旨の答弁をもらいました。
既に各所で議論が始まっていますが、さらに議論になっていけばいいですね。
弁当の日について
今回質問をするにあたり小学生の親御さんたちに独自の調査アンケートを取りました。
みなさんの回答は質問を作りこむ上で大いに役立ったことはもちろんですが、
実際に実現してくためにどのような課題があるのか、
またそれぞれの家庭の実践での既に取り組んでいる様子や
食を通しての子育てについての理解共感が高く、
弁当の日を提案する僕にとって大いに励まされるものでした。
一般質問では以下の自由回答の意見を引用させてもらいました。
「自家菜園もしているので、子供たちが畑からとってきた野菜を調理することもよくあります。
小さなころからお母さんと一緒に台所に立つ、自分たちの食事を自分たちも関わり作り上げる。
これがどれだけ自分たちが家族の一員なんだという自覚をもてる行為になっているか。
自分でつくったごはんが両親や家族にほめられたときの子供たちの顔は
なんともいえずいい顔をしています。
子育ての目指すところは、自分で生きていける力、
食はそのことにもっとも深くかかわりのあることではないでしょうか?
自分で健康にいい食事をつくれるようになる。一番の子育てだと思います。」
また弁当の日をやり始めた香川県の元校長先生だった竹下和夫さんの本の文章も紹介しました。
「弁当の日はいい実践だとは思うが、子どもたちの家庭環境の差は大きい。
給食を食べさせるのが教育的配慮だ、という意見がある。
教室の中で可哀そうな子が見えない方がいいと言っている。
しかしそれは、かわいそうな子はかわいそうなままで居なさい。
その状況はそっと守ってあげるから。
学校に「かわいそう」は持ってこないでね、ということではないかと私は主張してきた。
年間で数回程度の弁当の日に簡単なおかずとご飯の弁当を持ってくることさえできない子供たちが、
残りの日常で普通に食べているとは考えにくい。
私はかわいそうな子はいないと叫んでいる。
お母さんは命がけで生んでくれた。育ててくれた人がいたから、今生きていられる。
そして楽しい子育てができる未来が開けている。
クラスや学校の中で、かわいそうな子を作るな。
そのために自分にできることはないか考えなさい、と生徒に訴えてきた。
『私はかわいそうな子じゃない。』と思って生きていくことで、
日々の暮らしをよくしていける子供たちが全国にたくさんいると思っている。
親と教師と地域の大人たちが『あなたたちを育てるのは楽しい。』と声高らかに叫んで手をつなげば、
子どもたちも『大人になって自分も子育てをしたい』と思うようになるだろう。
弁当の日は子どもを育てる実践ではない。
大人たちが成長することで、子どもたちが健やかに育っていける社会を作りませんか、
という提案なのだ。」
一足飛びに「弁当の日」が実現というわけにはいきません。
これから実現に向けての過程で、様々な対話や繋がりが生まれてくればいいなと思っています。
僕もこの質問をして終わりではなく、引き続き自分の課題として取組、政策提案していきたいと思っています。
本日一般質問をやりました。
2つのテーマのうちの1つが『弁当の日』。
議会という公の場で取り上げ、行政側にも前向きに検討する旨の答弁をもらいました。
既に各所で議論が始まっていますが、さらに議論になっていけばいいですね。
弁当の日について
今回質問をするにあたり小学生の親御さんたちに独自の調査アンケートを取りました。
みなさんの回答は質問を作りこむ上で大いに役立ったことはもちろんですが、
実際に実現してくためにどのような課題があるのか、
またそれぞれの家庭の実践での既に取り組んでいる様子や
食を通しての子育てについての理解共感が高く、
弁当の日を提案する僕にとって大いに励まされるものでした。
一般質問では以下の自由回答の意見を引用させてもらいました。
「自家菜園もしているので、子供たちが畑からとってきた野菜を調理することもよくあります。
小さなころからお母さんと一緒に台所に立つ、自分たちの食事を自分たちも関わり作り上げる。
これがどれだけ自分たちが家族の一員なんだという自覚をもてる行為になっているか。
自分でつくったごはんが両親や家族にほめられたときの子供たちの顔は
なんともいえずいい顔をしています。
子育ての目指すところは、自分で生きていける力、
食はそのことにもっとも深くかかわりのあることではないでしょうか?
自分で健康にいい食事をつくれるようになる。一番の子育てだと思います。」
また弁当の日をやり始めた香川県の元校長先生だった竹下和夫さんの本の文章も紹介しました。
「弁当の日はいい実践だとは思うが、子どもたちの家庭環境の差は大きい。
給食を食べさせるのが教育的配慮だ、という意見がある。
教室の中で可哀そうな子が見えない方がいいと言っている。
しかしそれは、かわいそうな子はかわいそうなままで居なさい。
その状況はそっと守ってあげるから。
学校に「かわいそう」は持ってこないでね、ということではないかと私は主張してきた。
年間で数回程度の弁当の日に簡単なおかずとご飯の弁当を持ってくることさえできない子供たちが、
残りの日常で普通に食べているとは考えにくい。
私はかわいそうな子はいないと叫んでいる。
お母さんは命がけで生んでくれた。育ててくれた人がいたから、今生きていられる。
そして楽しい子育てができる未来が開けている。
クラスや学校の中で、かわいそうな子を作るな。
そのために自分にできることはないか考えなさい、と生徒に訴えてきた。
『私はかわいそうな子じゃない。』と思って生きていくことで、
日々の暮らしをよくしていける子供たちが全国にたくさんいると思っている。
親と教師と地域の大人たちが『あなたたちを育てるのは楽しい。』と声高らかに叫んで手をつなげば、
子どもたちも『大人になって自分も子育てをしたい』と思うようになるだろう。
弁当の日は子どもを育てる実践ではない。
大人たちが成長することで、子どもたちが健やかに育っていける社会を作りませんか、
という提案なのだ。」
一足飛びに「弁当の日」が実現というわけにはいきません。
これから実現に向けての過程で、様々な対話や繋がりが生まれてくればいいなと思っています。
僕もこの質問をして終わりではなく、引き続き自分の課題として取組、政策提案していきたいと思っています。
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