コメント
考えが端的に表現できそうなので
さっき、増田さん個人に一読して頂きたいコメントを書きましたが、コメントを書きながら、このブログで教育、子育てに関するコメントを何回か書いてきたことについて、端的に自分なりの考えをまとめられそうだと思ったので、増田さんにはお手数だと思いますが、改めてコメントを書かせてもらいます。
安曇野市民さん、増田さんのお二人が、現在のわが国の教育現場、社会全般の問題点についてコメントを書かれていましたが、現在のわが国の教育現場の問題点は、安曇野市民さんが指摘されている通り、大人社会に起因しているのでは、と私も感じています。
子どもたちが成長して、その出口である大人社会が殺伐としたものであれば、子どもたちに「希望を持て」というのは無理だというのは明らかだと思います。
数日前に、NHKの朝のニュースで「もし、日本が75歳以上の高齢者を安楽死させる社会になったら」といったような内容の映画の試写会の様子を報道していましたが、参加した方の中に「(現実的に)まったくあり得ない話ではない」という感想がありました。
私(あおぞらキッズ)は、こうした(わが国社会が)希望を持てない社会になった一因として「行き過ぎた資本主義(強欲資本主義と表現する論客の方もいますが)」がわが国社会を染めている一面があると感じています。
ただ、私は「一人ひとりの人間(もちろん、社会的弱者と言われる方も含めて)を大切にした社会」とコンピューターやAI(人工知能)のような技術とうまく調和させることができれば、この国の未来も希望が持てるのでは、と感じます。
端的に表現できそうです、と書いて端的に表現できませんでした。すみません。
安曇野市民さん、増田さんのお二人が、現在のわが国の教育現場、社会全般の問題点についてコメントを書かれていましたが、現在のわが国の教育現場の問題点は、安曇野市民さんが指摘されている通り、大人社会に起因しているのでは、と私も感じています。
子どもたちが成長して、その出口である大人社会が殺伐としたものであれば、子どもたちに「希望を持て」というのは無理だというのは明らかだと思います。
数日前に、NHKの朝のニュースで「もし、日本が75歳以上の高齢者を安楽死させる社会になったら」といったような内容の映画の試写会の様子を報道していましたが、参加した方の中に「(現実的に)まったくあり得ない話ではない」という感想がありました。
私(あおぞらキッズ)は、こうした(わが国社会が)希望を持てない社会になった一因として「行き過ぎた資本主義(強欲資本主義と表現する論客の方もいますが)」がわが国社会を染めている一面があると感じています。
ただ、私は「一人ひとりの人間(もちろん、社会的弱者と言われる方も含めて)を大切にした社会」とコンピューターやAI(人工知能)のような技術とうまく調和させることができれば、この国の未来も希望が持てるのでは、と感じます。
端的に表現できそうです、と書いて端的に表現できませんでした。すみません。
これで最後にするつもりですが
先月からコメントしてきた、増田さんと安曇野市民さんが問題意識を持ってお書きになられた一連のコメントに関した、私のコメントは、これで最後にするつもりですが(他の件ではまたコメントするかもしれませんが)、もう一点書いておきたいことがあります。増田さんにはまたお手数おかけしますが、よろしくお願いします。
数年前、旧民主党系の議員の人たちが唐突に(と、私は感じました)「権力者を縛るのが憲法である」といったような定義の「立憲主義」なるものをふりかざしてきましたが、これほど国民の生活よりも党利党略(旧民主は改憲、護憲双方の考えの議員がいるので)を優先する言動に、正直、私はあきれました。これまでのコメントで書いてきたように、それまでは旧民主党の人たちには期待していましたので。
現在のわが国で「立憲主義」は「憲法にのっとった政治(立法、行政といったもの)を行うこと」といったような定義が妥当だと思います。日本国憲法前文には「われわれ日本国民は」といったような記述があることからも、そのように私は考えます。
このように日本国憲法を最も理解、擁護していなくてはならないはずの国会議員が自分たちの都合で憲法に関わる定義をいじくりまわす(ように私には見えます)ような言動を国民が見たら、政治を信頼できないのはやむを得ないと思います。
安曇野市民さんの過去のコメント、「教育に期待できません」といったようなコメントに対し、私が「気持ちはわかる部分があります」といったようなコメントした理由の一つを書きたかったので、書かせて頂きました。
増田さんに関わるコメントではありませんが、ご容赦ください。
数年前、旧民主党系の議員の人たちが唐突に(と、私は感じました)「権力者を縛るのが憲法である」といったような定義の「立憲主義」なるものをふりかざしてきましたが、これほど国民の生活よりも党利党略(旧民主は改憲、護憲双方の考えの議員がいるので)を優先する言動に、正直、私はあきれました。これまでのコメントで書いてきたように、それまでは旧民主党の人たちには期待していましたので。
現在のわが国で「立憲主義」は「憲法にのっとった政治(立法、行政といったもの)を行うこと」といったような定義が妥当だと思います。日本国憲法前文には「われわれ日本国民は」といったような記述があることからも、そのように私は考えます。
このように日本国憲法を最も理解、擁護していなくてはならないはずの国会議員が自分たちの都合で憲法に関わる定義をいじくりまわす(ように私には見えます)ような言動を国民が見たら、政治を信頼できないのはやむを得ないと思います。
安曇野市民さんの過去のコメント、「教育に期待できません」といったようなコメントに対し、私が「気持ちはわかる部分があります」といったようなコメントした理由の一つを書きたかったので、書かせて頂きました。
増田さんに関わるコメントではありませんが、ご容赦ください。
No title
安曇野市民さんへ
11月8日のコメント、読ませて頂きました。私のコメント対し、ご自分が思われていることを書いて頂き、ありがとうございました。
ただ、大変失礼な書き方ですが、あなたの何の「提案」もしない「批判」だけするコメントについては、ついていけません。このブログでこれ以上、あなたのコメントについてどうこう書くのは止めます。
増田さんとのやり取りについて、横入りをしたこと、あなたの教育に対する問題意識について共感する部分があったため、勝手にあなたのコメント文を何度も引用し、私のコメントで何度も取り上げたことについては、大変申し訳なく思っています。ご容赦ください。
増田さんへ
11月8日付けで、一般市民である(今は教員ではありません。これまでのコメントを読めばわかると思いますが)私のコメントに対し、「こんなこと書いてすみませんが」などの一言もなく、私のコメントを批判するような(と、失礼ながら私は感じました)安曇野市民さんのコメントをこのブログに掲載し、9日に私が送信したコメントを、このブログに掲載して頂きましたが、この間、増田さんのコメントが一つもなく、これらのコメントに増田さんが何を感じておられるのか、私には全くわかりません。
農作業のお忙しい時期とは思います。しかし、これまで、国会議員の方や、元教員の方のブログで、他のコメント投稿者の方とブログのコメント欄で何度かやり取りをする、という事もありましたが、相手を批判する(安曇野市民さんのような相手を罵倒するようなコメント文を見たのははじめてですが)ようなコメントのやり取りについては、必ず、管理者の方(ブログをお書きになっている方)が間に入り、対処しておられました。
私も、安曇野市民さんのコメントを、自分のコメントで何度も勝手に取り上げるなど(安曇野市民さんに敬意を持った上で、取り上げたつもりですが)、反省すべき点がありますが、失礼ながら、コメント投稿者が不快に思うような(私だけかもしれませんが)増田さんのブログ管理のしかたはどうかと思います。
増田さんが、何もコメントをしない、というのは意地の悪い見方だと思いますが、私のコメントに対して、安曇野市民さんと同じような感想をお持ちである、と受け止めていいのでしょうか。であれば、増田さんは以前、私に対して「お会いしたい」と言って頂きましたが、おそらくお会いしても増田さんにとって失礼なだけだと思いますので、お会いしないようにしたいと思います。
不快に感じるようなコメント、ご容赦ください。
。
11月8日のコメント、読ませて頂きました。私のコメント対し、ご自分が思われていることを書いて頂き、ありがとうございました。
ただ、大変失礼な書き方ですが、あなたの何の「提案」もしない「批判」だけするコメントについては、ついていけません。このブログでこれ以上、あなたのコメントについてどうこう書くのは止めます。
増田さんとのやり取りについて、横入りをしたこと、あなたの教育に対する問題意識について共感する部分があったため、勝手にあなたのコメント文を何度も引用し、私のコメントで何度も取り上げたことについては、大変申し訳なく思っています。ご容赦ください。
増田さんへ
11月8日付けで、一般市民である(今は教員ではありません。これまでのコメントを読めばわかると思いますが)私のコメントに対し、「こんなこと書いてすみませんが」などの一言もなく、私のコメントを批判するような(と、失礼ながら私は感じました)安曇野市民さんのコメントをこのブログに掲載し、9日に私が送信したコメントを、このブログに掲載して頂きましたが、この間、増田さんのコメントが一つもなく、これらのコメントに増田さんが何を感じておられるのか、私には全くわかりません。
農作業のお忙しい時期とは思います。しかし、これまで、国会議員の方や、元教員の方のブログで、他のコメント投稿者の方とブログのコメント欄で何度かやり取りをする、という事もありましたが、相手を批判する(安曇野市民さんのような相手を罵倒するようなコメント文を見たのははじめてですが)ようなコメントのやり取りについては、必ず、管理者の方(ブログをお書きになっている方)が間に入り、対処しておられました。
私も、安曇野市民さんのコメントを、自分のコメントで何度も勝手に取り上げるなど(安曇野市民さんに敬意を持った上で、取り上げたつもりですが)、反省すべき点がありますが、失礼ながら、コメント投稿者が不快に思うような(私だけかもしれませんが)増田さんのブログ管理のしかたはどうかと思います。
増田さんが、何もコメントをしない、というのは意地の悪い見方だと思いますが、私のコメントに対して、安曇野市民さんと同じような感想をお持ちである、と受け止めていいのでしょうか。であれば、増田さんは以前、私に対して「お会いしたい」と言って頂きましたが、おそらくお会いしても増田さんにとって失礼なだけだと思いますので、お会いしないようにしたいと思います。
不快に感じるようなコメント、ご容赦ください。
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No title
あおぞらキッズさん、コメントありがとうございます。ただ、あれやこれや想像して書かれていても、私の方も答えようがありません。
あとは面識がないわけでもないのでお会いしてお話ししましょう。
あとは面識がないわけでもないのでお会いしてお話ししましょう。
早速の対応、感謝しますが
早速、増田さんなりに対応して頂き、そのことには感謝します。が、率直に言って、上のコメント文を読ませて頂き、あまりいい気がしませんでした。
私の「推測」ととられかねない、私の「推測」が、一歩間違えると誰かを傷つかせかねない内容を含むコメントについては、「非公開」コメントとして送信し、増田さんに一読して頂いた後、削除をお願いしています。なので「非公開」コメントについて、増田さんが「答えようがない」と回答するのはやむを得ないと思います。
しかし、14日の15時44分に送信した私のコメント文ついても「想像」などという言葉で「答えようがない」などと回答するのは、どうかと思います。このコメントについては「想像」で書いたわけではないので。
安曇野市民さんが「公立小学校において、野外保育を受けた一部の子どもが学校生活に適応できない」との問題意識をこのブログのコメント欄に掲載し、それを読んだ私が、「公立保育園と野外保育との交流活動」と問題解決策を提案しても、安曇野市民さんも増田さんも、私の提案に対し、一言の賛否も示さず、安曇野市民さんに至っては8日のコメントで私を非難する(としか何度読み返しても思えません)コメントを書いてきました。
増田さん、あなたも「議員」であれば、このようなこと(それも自分のブログで起きたこと)にそれなりに対応するのが議員としてのあるべき姿だと思います。
「お会いしたい」と改めて書いて頂いたにも関わらず、本当に失礼ですが、これまで私が書いてきたブログの数々のコメントを「想像」などと見なす方とお会いする時間的、経済的な余裕はありません。(三郷までは車のガソリン代もしくは電車代が結構かかりますので。私と最初にお会いした時に市議選の供託金を「そのくらい」といったような言葉で表現された増田さんには大した出費ではないかもしれませんが)
数年前の冬、雪かきをしている増田さんに、この国の方向性について意見をさせて頂いた時には、増田さんの真摯な態度に、他市民の私であっても政治家、増田望三郎に「いずれ県会議員や国会議員になっても面白いのではないか」といった大きな期待感を持ちましたが、今でも、私のコメントに瞬時に対応するなど、あなたの真摯な姿勢は評価していますが、大変失礼ながら、政治家としての力量については疑問を感じざるを得ない部分がいくつかあります。
いろいろ書きましたが、以上の理由から、勝手ながら、私が増田さんとお会いすることについて「今のところ、全く希望していない」ことをお伝えします。
以上、増田さんが不快に思われるであろうことも多々書かせて頂きましたが、去年の市議選であれだけの得票を得て、当選された方です。安曇野市民の期待も今日でも大きいものがあると推測します。これからもがんばってください。
私の「推測」ととられかねない、私の「推測」が、一歩間違えると誰かを傷つかせかねない内容を含むコメントについては、「非公開」コメントとして送信し、増田さんに一読して頂いた後、削除をお願いしています。なので「非公開」コメントについて、増田さんが「答えようがない」と回答するのはやむを得ないと思います。
しかし、14日の15時44分に送信した私のコメント文ついても「想像」などという言葉で「答えようがない」などと回答するのは、どうかと思います。このコメントについては「想像」で書いたわけではないので。
安曇野市民さんが「公立小学校において、野外保育を受けた一部の子どもが学校生活に適応できない」との問題意識をこのブログのコメント欄に掲載し、それを読んだ私が、「公立保育園と野外保育との交流活動」と問題解決策を提案しても、安曇野市民さんも増田さんも、私の提案に対し、一言の賛否も示さず、安曇野市民さんに至っては8日のコメントで私を非難する(としか何度読み返しても思えません)コメントを書いてきました。
増田さん、あなたも「議員」であれば、このようなこと(それも自分のブログで起きたこと)にそれなりに対応するのが議員としてのあるべき姿だと思います。
「お会いしたい」と改めて書いて頂いたにも関わらず、本当に失礼ですが、これまで私が書いてきたブログの数々のコメントを「想像」などと見なす方とお会いする時間的、経済的な余裕はありません。(三郷までは車のガソリン代もしくは電車代が結構かかりますので。私と最初にお会いした時に市議選の供託金を「そのくらい」といったような言葉で表現された増田さんには大した出費ではないかもしれませんが)
数年前の冬、雪かきをしている増田さんに、この国の方向性について意見をさせて頂いた時には、増田さんの真摯な態度に、他市民の私であっても政治家、増田望三郎に「いずれ県会議員や国会議員になっても面白いのではないか」といった大きな期待感を持ちましたが、今でも、私のコメントに瞬時に対応するなど、あなたの真摯な姿勢は評価していますが、大変失礼ながら、政治家としての力量については疑問を感じざるを得ない部分がいくつかあります。
いろいろ書きましたが、以上の理由から、勝手ながら、私が増田さんとお会いすることについて「今のところ、全く希望していない」ことをお伝えします。
以上、増田さんが不快に思われるであろうことも多々書かせて頂きましたが、去年の市議選であれだけの得票を得て、当選された方です。安曇野市民の期待も今日でも大きいものがあると推測します。これからもがんばってください。
No title
了解しました。がんばります。
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